プロフィール

大切な人と ほんもの家族になるために

Toishi Noriko

はじめまして。

ほんもの家族のコミュニケーション
「サクイエ」主宰
松咲 紀子 Noriko Matsusakiです。

このページへご訪問くださり、ありがとうございます。


もしかしたらあなたは真っ暗なトンネルの中に入り込み、出口を探しているところではありませんか?
私はトンネルの出口が見えなくて、長いこと人生を諦めてしまっていました。

一番身近で大切な存在のはずの家族と わかりあえない
           

“どうしてこんなに話が通じないの? いったい何が悪いの!?”

“一緒にいるのに、私だけが何でもやらされてイライラする”

“私のことは誰にもわかってもらえない”

“実家の母には言えないし、頼りたくない”

かつての私は、半ベソかきながらそう思っていました。

一人っきりで悩みを抱えていては、なかなか前に進みません。 
悩みを乗り越えてきた先輩がたくさんいて助けてもらえることを、自分がいっぱい悩んで知りました。

私が、家族のコミュニケーションの悩みを乗り越えた今、
悩みの渦中にある方に少しでも力になりたくて、このサイトを開設しました。

親子関係、夫婦関係の課題を解決して、
自由に自分本来の道を生きていきませんか

もっともっと輝いて生きることができる☆彡

そんなあなたを応援します。

私の辿った道を紹介しますね。

フィーリングが合いそう。なんかピンとくる。似ているところあるかも・・ 
なんとなくでもそう感じてくれたなら、お話しにいらっしゃいませんか。
あなたの来訪を心から歓迎します。

<ほんもの家族までのクネクネ道>

母親が機嫌よくいるために頑張った子ども時代

私が幼い頃、両親は子供の寝た後に毎晩ケンカしていました。母のキンキンした声を聴くのが耐えられず、眠れないで布団にくるまっていたことをよく覚えています。 

私は二人がケンカしないためには、母親が機嫌よくいられることだと信じて、一生懸命に母の気に入る行動をしていました。 

母から勧められて10歳の時に始めた習い事は、自分にピッタリで夢中になったのですが、12歳の時に急に辞めさせられました。

母が喜ぶと思って頑張っていたのに、裏切られたと思い、傷つき、これ以上何をすればいいのかわからなくなってしまいました。

ダメなのは自分!
だから母とのコミュニケーションは諦めるしかないのか

中高校時代、母親とは口を開くたびにケンカ、まともに話もできなくて、私は心を閉じて全てに意欲を失っていました。 

これは自分がダメな子だからだと劣等感の塊。

友達もできず孤独で学校も嫌い、勉強もやる気になれず、留年しないように出席日数を計算して学校をサボっていました。 

暗闇の青春時代

生きる意味が分からず死がよぎり、どうやったら楽に死ねるのか、と考えたりしました。

高校を卒業してからは母親から離れて、母とコミュニケーションをとることは、すっかり諦めてしまいました。 20代のころは自分に合った生き方を模索しながら、いろんなことをやってみては止めて、の繰り返しでした。

子育てでよみがえる子ども時代の悪夢
“わかってもらえない”

結婚し、育児のために家庭に入りました。 

初めての赤ちゃんはとてもかわいくて、この子とは良い関係でいたいと心から願っていました。 

ところが、息子が2歳のイヤイヤ期、出かけるたびに道路にひっくり返る子を前にどうしていいかわからず混乱しました。

自分と母のように冷たい関係には絶対になりたくない! 
苦しかった思春期がリアルによみがえりました。 
あんな親子関係は絶対に嫌だ! 

夜中まで仕事して帰る夫に相談するも、私の気持ちはわかってもらえず、ケンカになるばかり。 

何とかしたいと子育てセミナーに片っ端から参加し、いろいろな本を読みました。

その中で子どもの自立を育むコミュニケーション法を教えている講座を知り、すぐに受講しました。

何て言ったら、子どもはわかってくれるの?

その頃、2歳の息子は外遊びが大好きで、毎日公園に出かけていました。 

遊び始めたら夕方になっても家に帰るのを嫌がり、ほんの10分程の公園から家に帰るのに1時間もかかるような日々。 
私はホトホトくたびれていました。 

ある日、遊び始めてしばらくしたところで、黒い雲が広がってきました。 
夕立が来る! 
雨具の準備もなく、すぐに帰らなければと思い、声を掛けましたが、まだ遊び始めたばかりで帰るわけがありません。 

そこで私はコミュニケーション講座で習ったばかりの方法で言ってみました。

「雨が降りそうだから、ママは家に帰りたいの。」

「イヤだ! もっと!(遊ぶ)」、砂場で遊び続けます。

「雨が降っても、ママは傘持ってないから濡れちゃうでしょ。ママ、ビショビショになるのはイヤなのよ」
息子は私の目の前に来て、私をジッと見て

「ボウヒ! ボウヒ!」
と言って、私の頭に自分の被っていた帽子を乗せてくれた

「え! ママに帽子貸してくれるの?」

「うん」(スタスタ公園を出て家に向かう)

これまで公園から家まで引きずって帰っていたのが噓のようでした。

「これが本来のこの子だ」とわかった瞬間

まだ言葉もよく話していなかった子どもが、状況を理解し、私が濡れないように考えてくれました。 

親が言葉掛けの方法を変えただけで、
子どもは思いやりを示し、
さらに自分の意志で帰ることを選択しました。

2歳の子が本当にスタスタ歩いたかどうか、今考えると怪しいものですが、その後ろ姿は自信に満ちているように私には見えました。 

親を困らせてばかりの子どもにしているのは、
適切な言葉掛けをしていない親のやり方のせいだと実感しました。

うつ病・喘息、最悪の夫婦関係の中で家族みなが病気発症
誰にも知られたくない! 
必死で明るく元気

夫がうつ病で退職しました。 

昔からお酒好きでこの頃にはアルコール依存症にもなっていました。 
幼い息子を抱えながら、保健所や病院に相談するも、本人が否定するので、余計ケンカになるばかり。 

夫婦関係最悪の状態でした。 
でも、こんな家庭環境を誰にも察せられないように、外では毎日明るく元気にふるまっていました。 

表面の行動と心の中のギャップがどんどん大きくなっていました。 

そんな状況の中、息子が気管支喘息を発症し、夜中に何度も病院に駆け込み、救急車を呼んだこともありました。 

そして私も咳喘息を発症。大人になってからかかる喘息と言われ、度々咳き込み苦しみました。 

夫婦そろって心を隠し「ニセモノ家族」をつくっていた

 夫は自分の母親との関係に問題を持ったまま、一家揃って実家に行き良い顔を見せる。 

一方で相当なストレスをためては電話で声を荒げることもあり、子どもが怖がる。 

私は自分の母親との関係に問題を持ったまま、一家揃って実家に行き良い顔を見せる。 

一方で相当なストレスをためては電話で声を荒げることもあり、子どもが怖がる。 

家族そろって、心も身体も疲れていきました。

 そんな状況でも、子どもとの関係だけは良好にしたくて、コミュニケーション法を学び続けました。 
学んでも日常で生かせなければ何にもなりません。 
私は毎日毎日実践しました。 
うまくいったり、失敗したりの繰り返しでしたが、私は息子を通して、親として育てられているのを感じました。

本音の話し方、気持ちを汲む聴き方
方法を知れば心が通じる

親は自分の気持ちに正直に、素直に伝える。 

親の言葉を聞いて、子どもは自分で考える。 
その経験で子どもは判断力や、想像力を持ち、人を思いやりながら自分の行動を決められるように成長していきます。 

また、子ども自身が悩んだり困ったりしている時には、親が心から聴くことにも方法があります。

コミュニケーションの方法は、学校でも教わりません。 
適切な方法を使わないことで、すれ違いがたくさん起こることがはっきりわかりました。

 

私と母の大きなすれ違いが起こったのは、母がコミュニケーションの方法を知らないまま子育てしていたからなのだ、と理解しました。

知らないことは習って実践し、うまくいったり失敗したりの繰り返しで、快適な子どもとの関係を実現

それからはコミュニケーション法を学び実践するのが、私の子育てになりました。 

子どもが小学生になり、私は家族関係をよりよくするための講座やセッションを開始しました。 

コミュニケーション法を伝えながら、自分自身が日常で実践し続けるためにです。 
おかげで息子とは心が通じ、父親に話せないことも母親には話せる仲になっていました。 

が、思春期に入り大きな事件が起こりました。

昼夜逆転 身体を張った12歳の反逆

 息子が12歳の時にそれまでの全てをひっくり返して親に反発しました。 

昼夜逆転の生活、まったく話が通じない毎日。 
私が母親とコミュニケーション取れなくなったきっかけが12歳の時。 
同じことが起きたのか!? 
混乱しました。 

理由と対策を知りたくて、セミナーに通い詰めました。 
自分と子どもの本質的な違いを学び、息子のタイプを徹底的に探求。 
私との大きな違い、捉え方、ペース、こだわり、大事にするもの、怖れているもの、望んでいること・・・など。

気づかないから世代を超えて繰り返すの!?

 私が子どもの頃には、子どもである私が親との関係を良くしようと努力していたのが、12歳の時の母の行動により壊れてしまった。 

同様に、息子は私との関係を良くするために懸命に努力していたのでした。 
私が気付かず傲慢になっていたために、息子は12歳で息が切れてしまったのだ、ということがわかりました。

“息子を理解しよう、自分を理解しよう”
貪欲に学んだ結果、自分の力で立ち直るとわかった 

 信頼できる人に個別に相談し、理解が深まるほどに、私自身がしてあげられることは何もない、と気付きました。 

この子はいつか自分の力で起き上がる。 

私がすることは子どもに寄り添うことしかない、と気づいて布団に潜り込んだままの息子を全面的に受け入れました。 

「苦しいなら自分で動けるようになるまで寝ていていいよ」

「このまま何年も学校に行かれなくても、起き上がれなくても私は大丈夫」

「とことん付き合って、ここにいるからね」 

ベッドの脇に座ったら、奇跡が起こった!

しばらくして、布団がモソモソと動き出し、ヌーっと手と顔が出て、

「フヮー、良く寝たぁ」

と息子が伸びをしました。 

これまでどんより曇っていた顔つきがスッキリしています。 

ここから急激に事態が動き出しました。 
遅れを取り戻すように学校の準備をし、翌日から朝起きるようになったのです。

いったい何が起こったのか?!

私が息子を元気にしよう、この状態を変えようと必死になっていた時は、まったく変わらず、びくとも動かない。 でも息子全部をそのまま受け入れ、それを示したとたんに変化が起こりました。 

私がしたことは、息子を理解して受容して、心から信頼したこと。 

ズバリ 子どもが見抜く親の問題
「NO!」は息子の強烈なメッセージ  

本当の問題は子どもではなく、私の人生の生き方にあったのです。 

表向きの体裁だけを繕い、顔では笑い、心の中はいら立ちでいっぱい。 
そんな嘘っぽい生き方に息子は「NO!」と言ってくれたのでした。 

親の問題を子どもは身体を張って教えてくれる、と体験しました。

この反逆期間を経て、息子との関係は「ほんもの」になったと感じます。 
息子が反発してくれなければ気づけなかったので今では、ありがたかったなぁ、と思います。

本当に困った時、助けてくれる人は必ず周りにいる 

 自分の考えだけではすぐに行き詰ってしまいますが、問題をすでに乗り越えた人、豊富な知識を持っている人、進んで行く方向性を示してくれる人、学びを提供してくれる人、そういった人がピッタリのタイミングでサポートしてくれました。

カウンセリングやセッションで提供される心理療法は、想像以上に大きな気づきを促し、成長を速めてくれたと実感しています。

一難去ってまた一難
関係がギクシャクしたまま
母の介護ができるのか?!

実家の母親が家事をできなくなり、ほぼ横になっている生活になりました。 

私は子どもの頃から持っている辛い思いのせいで、
「介護なんてできない」
と心の中で思っていました。 

そんな時、親の介護を担ってくれるだろうと期待していた姉は、自分の夫が倒れて24時間介護が必要になり、頼れなくなってしまったのです。 

自分の性格や本質をセミナー・ワークで探求し、自己理解が進むと、母親との関係で自分に何が起きていたのか、問題の本質に気付き始めました。 

親は、親なりに子どもを愛し、子どもは自分の望むように愛してほしいと願う。 

愛の表し方に、もともと持っている気質が影響していたのです。 

母と自分の性格の違いを理解すると
思い違いが明白になった

人は一人ずつ生き方の核になる価値観を持っています。
人の数だけ価値観はあり、まったく同じ人などいないのです。 
違うからこそ、分かり合う努力が必要です。 
だんだん弱っていく母と今更対決できなかったので、ただただ学び続けました。

同時に、家族関係をよりよくするためのワークショップを開始しました。 

学びながら実践しながら活動するのが、私のやり方です。

ある日、実家に行くと在宅していた父に部屋に呼ばれました。 
まったく突然に、私が12歳の時に母との間で起こった事件について、真相を語ってくれました。 
初めて聞く話でした。 

私が母に裏切られたと思っていたことには、家族の事情がありました。 
父は「お前にはかわいそうなことをしたなぁ」と言ってくれました。 
ようやく真実が明るみに出て、私は号泣し、納得しました。 

母は当時、私を信頼したからこそ、私に我慢させる選択をしたのだと、母の性格や気質を知った上で理解できました。

この父親の助けにより母親との関係課題が大きく前進したのは言うまでもありません。

植物のエッセンス(本質)が人間のバランスの崩れたエネルギーに作用して感情を癒し、心と身体を健康にする

フラワーエッセンスという波動療法に出会い、
宇宙の真理、命の理由など本質的な学びを始めました。 

適切なフラワーエッセンスを摂ってエネルギーのバランスが整うと、人生で体験してきたことがスルスルと意味のあるものにつながっていきました。 
これまで身に付けてきた知識が、身体の奥底でパチンパチンと本質とつながっていくのを感じました。 

事件が起きてから40年
母親と娘のすれちがい完全に修復
対決いらずの「ほんもの家族」へ

 母親とまったくコミュニケーション取れなかった私が、フラワーエッセンスの助けもあり、母と一度も対決することなく、愛が交流する「ほんもの親子」になったのです。

今では穏やかに自然に一緒にいて、笑顔で話しています。

フラワーエッセンス・プラクティショナーとしてセッションを開始しました。 
コミュニケーション法を学び、個人の性格タイプを理解し、さらに波動療法でエネルギーを整えていくことで、私の周りの方々の家族が幸せに変化しているのを実感しています。

真実を理解すると自分が変わり
自然に環境も変化する

 フラワーエッセンスの実践と学びのおかげで、自分が根本に持っていた怖れがあり、それは宇宙の法則からすると起こりえないのだと、心の底から理解する体験をしました。 

夫のアルコール依存は、夫の問題を私が取り上げていたから、本人が解決できないのだと気づき、私は完全に手を引きました。 

同時に息子が精神的に自立して、子育てが終了したことに気付きました。 
夫とは子育てのパートナーであって、その後の人生の道は別々だということも見えてきました。 

すると現実が大きく動き、自然に離婚の流れになりました。 
私はびっくりしつつ現実を受け入れ、涙をたくさん流しながら、23年の夫婦生活の汚れや傷を全部洗い流したのです。

離婚後のことを父親に相談しようと会いに行ったのですが、顔を見たら言えなくなってしまいました。
「次にしよう」と思った一週間後に、父が急死しました。 

慌ただしく葬儀を済ませてから、母と弟に離婚を報告したところ、父親の部屋が空いたのだから、そこに住めばいいと言ってくれました。 
既に弟が継いでいる実家に戻ることなど考えていませんでした。 
父は私に住むところを与えるために、身を引いてくれたのか! 
私にはそうとしか思えなくて、親の愛を感じ、感謝で胸が震えました。  

 

母と一度も対峙せずに回復できたのは
信頼できる人の助けを得られたおかげ

 母親と同居し、本格的に介護が始まりました。 
私が実家に戻ってから、母の様態は落ち着き、医師や看護師さんなどの予想に反して、笑顔で会話できる良い状態が続いています。 

私は何のわだかまりもなく、介護に負担を感じることもありません。 
むしろ喜びがあります。 
母と娘の穏やかな時間を最期に持てていることに、感謝でいっぱいの毎日です。

自分の時は40年かかった親との関係修復を
息子の時は40日で解消できたのは、適切に助けを得られたからです。

私が行ったことは、コミュニケーションの方法を知り、人の気質を理解し、エネルギーのバランスを整えること。 

素直に助けを求めると、手を差し伸べてくれる人に出会います。 

そのおかげで、学び、気づき、成長しました。人生で本当に大切なことを知り、自分軸で生きることにシフトできたのです。

心を満たす「ほんもの家族」のコミュニケーション
家族に応援されながら自分の道を行くために

人生の課題に向き合うテーマ『3つの親子関係』

①自分の子どもとの関係

②自分の親との関係

③自分の内面の子どもとの関係

3つの関係のうちの一つにでも、解決していない問題が残っていると、生きづらさを感じます。 

それが人生の課題です。 

丁寧に向き合い、パートナーとの関係を含めた「家族関係」を「心を満たすほんもの家族」に育てていく。 

熱い思いを持って行っている活動が22年目を迎えました。

困難に思える大きな試練にも
乗り越える力があなたにあります 

私は、出会った人の持っている解決する力を、信頼しています。

あなたの能力を発揮できるように
その時にピッタリの療法を提供し、信頼することが
私の<カウンセリング、セッション、セミナー>です

自分の根本の問題である家族との関係は、この人生を幸せに生きるために大きな影響を与えます。
一番身近で重要なコミュニケーションの問題を解決すると、自由が広がります。
お互いに相手を尊重し、応援されながら、自分本来の道を歩き始めるでしょう。 

そのように充実した人生を送る人たちで地球上がいっぱいになることを夢に描き、毎日ご相談に応じています

『ほんもの家族』育成メソッドで、家族のコミュニケーションを改善し、自分本来の道を歩き始めている方が、大勢いらっしゃいます。その方々の成長の姿を間近に見せてもらえることに幸せを感じています。

『ほんもの家族』とは、家族一人一人が個人として尊重し合えるところです。
それぞれのやりたいことを応援し合える関係。

“ひとりでいても一緒にいても心地いい”

心地よく自分の人生を歩むためのセッションです。
ピンときた方は、どうぞお話しにいらしてください。